自分は愛ルケ(爆)の前からジュンイチはキライだったのですが。避けて通っているのに、なぜか見てしまう。
しかも自分が一番キライな新聞サンケ●にジュンイチが連載しており。サン●イいうだけでいやなのに、なぜかそれを本日母親より見せられてしまいました。
ちなみに●ンケイキライにはワケがありまして。
単なる思想の問題ではないのね。
そのワケはまたそのうち。医者が自分の医院に勤める看護師か事務の人だか忘れたけどその人にマンションを与え愛人にしているが、自分の妻が楽しそうに源氏物語を読む趣味の会に行き、そこで恩師と出会ってどうやら恋愛関係に陥ってるようだみたいな事実を、妻の日記で知り、ずっと嫉妬に渦巻いているというのが本日のお話でした。
ただのケ●の穴の狭い嫉妬深いオッサンの話です。ちゅーかプライバシーとかしらんのかこのオッサン。しかも40代らしいがありえへん古くささ。(斜め読み&ヘンケンに満ち溢れた表現失礼)
ああそうか。女を産む機械とかいう世代はこんなバカ男を容認してきたのね。母親はおもろいっていうねんもん。
どこがおもろいんかさっぱりわからんのです。
なんかこういう男の話を愉快がって読めるってのはさ、
「おとこはんは手のひらで転がしておきなはれ」思想に限りなく近いよーな気がするんですよ。
自分はそういうめんどくさいのキライで、負けるが勝ちなどと思ったことはなく。いつも直球ストレートあるいは、マシンガンで相手が倒れているのにまだ打ち込むかくらいの勢いで。ガチンコ勝負しか出来ない。無理。
常に自分は「対等」でいたいのね。と思います。
逆に、「ころがしときなはれ」オンナは、ゆとりがあるのかもね。優位性を別でもてるから、「転がしときなはれ」が出来るんでしょう。でも相手を思い切りバカにしてるようにも見える。尊重してるようには見えないです。バカオトコをおだててまで、続けなきゃいけない。そんな破綻した(と自分には見える)関係に未来はあるの?「続ける」ことが果たして大事なの?って。うちの母親世代を見ててそう思ってしまいます。
自分には何か諦めきってるようにしか見えないんですね。
自分がある意味理想主義者なのかも。
他人をバカにしたり転がしたりしない対等性を特に「親密な関係」に自分は求めるのです。相手を否定している関係などやはりありえないんですが。
お情けでつきあうとか、バカだけど利用できるとか、カネのためにガマンとか。そういうの未だに出来ない。きっと一生出来ません。
だんだん書いてて論旨の破綻を感じるけど、まあいいや、わかってくれる人だけわかってくれたらそれでいいです。
しかしほんま思い起こすに。不愉快きわまりない話。
ネットでちょいと調べてもムカつく表現とツッコミどころ満載なお話のよう。
自分がウワキしといて何をかいわんや。史上サイアクなこのオッサンには堀江珠喜「おんなの浮気」という新書を慎んで差し上げたい。読んで心臓麻痺でも起こして愚息も昇天しとけやボケ。(ゲヒンですいません)
と架空の登場人物にここまで憤りを感じることも珍しいのですがw
エニイウェイ。
オトコはこうだ、とかオンナはこうだという枠線に自分は入れられたくないし、まあ勝手に放り込んで納得したければすればいいけど。少なくとも自分の配偶者を自分の所属物みたいに思っているク●男の話などいくら小説でも読みたくはないですね。まあそいつが最後ボロボロになるなら、話は別だけどね